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永原の読書 瓶詰地獄

2019.12.16

日常
読書

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こんにちは、
クリエィティブ制作部の永原です。

12月になり本格的に寒くなりました。
コートは早々に出してしまい、
すでにマフラーと手袋も装備して朝晩自転車に乗っています。
今から2月が心配です。

タイトルからして一目瞭然ですが、今回から本の紹介をしたいと思います。
大学で日本文学を専攻していたこともあって、
おすすめの本を紹介する機会をこのブログでいただくことになりました。
シリーズ化できたらいいなと思っているので、今後もよろしくお願いいたします。

夢野久作『瓶詰地獄』

夢野久作 写真

今回紹介したい本のタイトルは『瓶詰地獄』です。
『瓶詰地獄』は夢野久作が書いた短編小説で、初出は1928年10月に刊行された「猟奇」という雑誌です。

夢野久作は1889年に福岡市生まれの小説家であり、思想家・活動家です。
他に有名な作品として、日本三大探偵小説のひとつである「ドグラ・マグラ」があります。

【あらすじ】
ある日、とある村役場の海に3つのビール瓶が漂着。その中には雑記帳の切れ端のようなものが入っており、その中身が何か調べてください、という海洋研究所宛の手紙から小説は始まります。その以下は、「第一の瓶の内容」「第二の瓶の内容」「第三の瓶の内容」の順に書かれます。
瓶の中には、島に漂着した、太郎とアヤ子が書いたと思われる文章がそれぞれに入っていました。そこには、海で遭難し、無人の小さな島に流れ着いた2人の罪の意識と懺悔を記した内容が明かされていきます。

100年近く前の作品ということもあり、青空文庫にも掲載されています。無料で手軽に読むことができるので、よろしければ一度読んでみてください。

瓶詰地獄 写真

https://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2381_13352.html
むしろ、これ以下はネタバレになってしまいますのでご注意ください!

永原の解釈

この小説は一般的に「第三の瓶の内容」「第二の瓶の内容」「第一の瓶の内容」の順に読むと時系列順に読むことができると言われています。
救出を求める「第三の瓶の中身」、太郎の苦悩と罪の意識が書かれた「第二の瓶の中身」、救出しに来てくれた船を見ながら懺悔の文章を書いたと思われる「第一の瓶の中身」。書かれた大まかな内容を考えると、この順番に読むのが妥当だという理由も理解できます。

しかし、この順番でいざ小説を理解しようとすると、なんともいえない気持ちの悪さが残ります。

その理由が、内容のちょっとした違和感と字面にあると私は思っています。
その気になる箇所をいくつかあげてみます。

「第二の瓶の内容」の序盤に漂流した2人の持ち物が書かれています。

その時に、私たちが持っていたものは、一本のエンピツとナイフと一個のノートブックと、一個のムシメガネと水を入れた三本のビール瓶と、小さな新約聖書が一冊と……それだけでした。(p.212)

そして、後半には

鉛筆がなくなりかけていますから、もうあまり長く書かれません。(p.222)

と書かれています。

「第二の瓶の内容」を書いている時点ですでに鉛筆は無くなりかけていると書かれているのにも関わらず、「第一の瓶の内容」がしっかり書かれているという点がとても不自然です。
また、「エンピツ」と「鉛筆」のような漢字と片仮名の表記の入り混じりが、この小説内では他の箇所でもかなり目立ちます。

他にも、難しい「鸚鵡」は漢字で書くことができるのにもかかわらず、簡単な「センチョーサン」は片仮名で書かれているという違和感。

そして、最大の違和感は、この3つの瓶を誰が開けて中身を読んだのかという点です。
この小説は村の役場から海洋研究所宛の手紙から始まります。
その手紙には、

然れ共、尚何かの御参考と存じ、三個とも封瓶のまま、村費にて御送附申上候間、…(p.207)

とあり、村の役場では瓶が開けられてないことが明らかになっています。

「第一の瓶の内容」では、

ああ………この離れ島に、救いの舟がとうとう来ました。(中略)お父さまや、お母さまたちはきっと、私たちが一番はじめに出した、ビール瓶の手紙を御覧になって、助けに来て下すったに違いありませぬ。(p.208)

という記述があるのですが、「三個とも封瓶」という時点でおかしいのです。両親が救助を求める手紙を読んでいるはずがなく、本当に救いの舟が来ていたのか、という疑問が残ってしまいます。

そこで、私は瓶の中身を見た人物として、海洋研究所の誰かでも両親でもない人間をあげたいと思います。

それは、夢野久作自身です。
作者である夢野久作が小説内にいると私は考えています。

見えない登場人物として夢野久作をあげた理由は、小説の流れがあまりにも作為的だからです。
もし仮に、海洋研究所の誰かが開封し、記録を残すために全ての内容をまとめたとするなら、わざわざ瓶の内容の順番を読み手が悩むような書き方をする必要性がないと思います。細かい違和感を置いておいたとしても、内容を精査したうえで時系列順に書いたほうが確実に読みやすいし記録として自然です。
しかし、それがなされていないと言う点が大きな違和感を感じた理由でした。

夢野久作は小説内で一言も発すことはありませんが、全ての違和感を解決する力を持っています。作者であるためその力を持っていることは当然なのですが、まるで小説内に彼が存在し、その内容を操作しているように感じてしまいます。悲しい兄妹の手紙はあくまでも創作だと言わんばかりです。

まとめ

紹介は以上となります。
タイトルといい内容といい、最初に紹介するものとしていかがなのか、と思わずにはいられない作品です。
さすがに他の本にすべきかと悩んだのですが、私自身とても衝撃を受けた小説なので、初回だからこそぜひ紹介したいと思い、この話に決めました。

というのも、私が学生の時に受けた授業の初回に紹介されたものが『瓶詰地獄』でした。
短い小説ではありますが、様々な読み方や解釈をすることができるというところに、とても驚いたのを覚えています。先程までの紹介もあくまで私の解釈なので、他にも様々な視点から読むことが出来ると思います。そういうこともあり、この時代の短編小説を好きになったきっかけの作品です。

ついつい長くなってしまいました。
年末も近いので、気軽に読むことができる短編小説を暮れのお供にしてみてはいかがでしょうか。
また、紹介できる機会を楽しみにしています。

(引用は『日本文学100年の名作 第2巻』 2014/9/27 新潮社 より)