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坂道探訪4

2022.02.24

日常
坂道探訪

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こんにちは。制作部の中山です。2022年初めてのブログということで、まずは遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。

2022年もあっという間に2ヶ月が過ぎ、まだまだ寒い日が続きますが、みなさんはどんな冬をお過ごしですか?わたしはというと、例年の冬は鍋を食べ、餅を食べ、みかんを食べ、少し贅沢な気持ちでこたつでアイスクリームを食べ…というような寒さを言い訳にした食三昧のような過ごし方をしていたのですが…今年の冬はそれらに、ホッカイロにお世話になりながらの坂道探訪が加わり、充実した冬を過ごしております。

坂道探訪をテーマにしたブログも気がつけば4回目。昨年の8月に港区の坂道コンプリートの目標を掲げた当初は、いくら数が多くても同区内の坂道…意外と全3回ほどのブログで巡りきれるのではないかと甘く考えていました。それがまさか年を跨ぐことになろうとは…そしてまだ半分にも達していないとは…
正直なところ途中で挫けそうになった時期もあったのですが、またしてもわたしの頭の中に「俺の拳南斗鳳凰拳に構えはない!!構えとは防御の型!わが拳にあるのはただ制圧前進のみ!!」と北斗の拳のサウザーの名言が…。
そうです。一度決めたからには守りに入らず、やりきらねばならない時があるのです。こうしてサウザーの名言に背中を押され、意地とプライドをかけた「中山vs港区の坂道(2022)」が幕を開けました。

ということで前置きが長くなりましたが、今回も坂道探訪にお付き合いいただければ幸いです。なお前回同様に数が多いため、いくつかの坂道をピックアップしてご紹介し、残りは表形式で写真と概要のみご紹介できればと思います。なおナンバリングは前回から引き続き23番から開始しています。

23.釣堀坂(つりぼりざか)

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釣堀坂は港区南麻布にある坂道です。この坂は探すのに非常に苦労した坂で、見つけるのに地図を見ながら狭いエリアを40分ほど歩きまわりました。
というのもこの坂道には港区が設置した坂標が無く、「①本村小学校の南東端から東にあること。」「②薬園坂の上部を西に下り、更に登る坂道で、奴坂の南方にあること」という事前に調べておいた情報のみを頼りに探したからです。もともと方向音痴のきらいもあるため、何度も同じような場所を行ったり来たり…ようやく見つけた時は本当に嬉しく、ヘロヘロになりながらスロープのお世話になりました。

自宅に帰って調べてみると、坂名の由来は周辺に釣堀が2つあったからで昭和初期からこの坂名で呼ばれるようになったといいます。麻布のど真ん中に釣堀があるとはなんとも不思議な感じがしますが、1つの釣堀は埋め立てられて団地に、もう1つの釣堀も80年に渡り営業していたものの2018年5月に閉園されたとのことでした。
港区のサイトで紹介されていた資料では「昭和39年頃には坂下に池があり、春にはオタマジャクシが大量に泳いでいた。」といった記述もあったので、数十年前の釣堀坂周辺は自然豊かな場所だったことがうかがいしれます。町並みは変貌していっても、坂の標識は無くても、昭和初期の周辺環境を知る一つの要素として、釣堀坂の名前だけはひっそりと残っていってほしいなあと思いました。

場所 港区南麻布3丁目
名称の由来 この谷あいの周辺に釣堀があったことが由来となっている。
坂の概要 延長:約110m

24.三光坂(さんこうざか)

三光坂は白金2丁目と4丁目の間にある坂です。坂下は白金北里通りの交差点となっており、都営バス「三光坂下」のバス停があります。
ここから目黒通りまで向かう途中の区間が三光坂になりますが、坂上の西側に聖心女子学院の正門へとつながる銀杏並木、周辺には高級住宅街と、なんとも落ち着いた雰囲気が広がっています。 しかしその落ち着いた雰囲気に反して、この三光坂はかなりの急坂。坂下から歩いて登るだけでも息が上がります。でもこの堂々たる佇まいがまさしく坂道といった感じで、個人的に大好きな坂です。再訪回数も一番多いこの坂ですが、一度でいいので坂下から坂上まで止まらずにダッシュで登りきってみたいものです。

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場所 港区白金2丁目と4丁目の間
名称の由来 本来は 坂下専心寺にあった三葉の松にもとづき三鈷(さんこ 仏具)坂だったというが、日月星の三光などともいう。
※港区が設置した標識より
坂の概要 延長:約210m

25.暗闇坂(くらやみ坂)

港区の坂道を巡っていて気がついたのですが、港区の坂道の周辺には、とにかく大使館が多いです。以前ご紹介した綱坂の周辺にはイタリア大使館、後ほどご紹介する仙台坂の途中には韓国大使館、薬園坂の隣にはイラン大使館…ほとんどの坂の周辺に大使館があります。
そしてこの暗闇坂の隣にも例にたがわずオーストリア大使館があります。オーストリア大使館は赤レンガ造りの美しい建物です。暗闇坂は樹木が生い茂り昼でも暗かったというところが坂名の由来となっていますが、現在の暗闇坂は坂名とは真逆のハイソな雰囲気を醸し出していました。
なお暗闇坂と名のつく坂は、わたしが知っているだけでも都内に7つあります。都内の同名の坂を比較検証してみるのも面白いかなと、オーストリア大使館を横目に見ながら思いついたのですが、まだ港区の坂道を半分も巡りきっていないことに気がつき、しょんぼりしながら暗闇坂を下りました。

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場所 麻布十番2丁目と元麻布3丁目の間から元麻布3丁目と1丁目の間まで
名称の由来 樹木が暗いほどおい茂った坂であったと言う。以前の宮村町を通るため宮村坂ともいった。
※港区が設置した標識より
坂の概要 延長:約160m

その他の坂

前述したとおり、ここからは表形式で写真と概要のみご紹介できればと思います。

画像 26.仙台坂(せんだいざか)
<場所>
港区南麻布1丁目と元麻布1丁目の間
<名称の由来>
南麻布と元麻布の境界を東西に通る道。"仙台坂上"交差点から"麻布山入口" 交差点付近までの間。坂途中の南側に韓国大使館がある。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:330m
画像 27.南部坂 (なんぶざか)
<場所>
港区南麻布4丁目と5丁目の間
<名称の由来>
有栖川宮熾仁宮記念公園の場所が赤坂からうつってきた盛岡城主南部家の屋敷であったために名づけられた。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:200m
画像 28.日吉坂 (ひよしざか)
<場所>
港区白金2丁目と白金台1丁目の間
<名称の由来>
能役者 日吉喜兵衛 が付近に住んだためこの名がある。ほかに ひよせ,ひとせ,ひとみ などと書く説もある。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:300m
画像 29.青木坂 (あおきざか)
<場所>
港区南麻布4丁目
<名称の由来>
江戸時代中期以後 北側に旗本青木氏の屋敷があったために呼ばれた。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:100m
画像 30.明治坂 (めいじざか)
<場所>
港区白金6丁目
<名称の由来>
むかしから存在していた道であるが、明治坂と呼ばれたのは、大正初年からであると伝える。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:60m
画像 31.木下坂 (きのしたざか)
<場所>
港区南麻布5丁目
<名称の由来>
北側は,大名木下家の屋敷がありその門前に面していたために,よばれるようになった坂名である。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:340m
画像 32.日東坂 (にっとうざか)
<場所>
港区白金台5丁目
<名称の由来>
日糖坂ともいい,日東紡 あるいは 日本製糖の用地があったからと伝える。大正初年に開かれた坂と推定される。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:150m
画像 33.薬園坂 (やくえんざか)
<場所>
港区南麻布3丁目
<名称の由来>
江戸時代前期坂の西部に幕府の御薬園(薬草栽培所・小石川植物園の前身)があった。なまって役人坂・役員坂と呼ぶ。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:170m
画像 34.安鎮坂 (あんちんざか)
<場所>
港区元赤坂2丁目から港区元赤坂2丁目と新宿区南元町の間まで
<名称の由来>
付近に安鎮(珍)大権現の小社があったので 坂の名になった。武士の名からできた付近の地名によって権田原坂ともいう。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:320m
画像 35.弾正坂 (だんじょうざか)
<場所>
港区元赤坂丁目と2丁目の間から,赤坂4丁目まで
<名称の由来>
西側に 吉井藩松平氏 の屋敷があり,代々 弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったため名づけられた。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:300m
画像 36.絶江坂 (ぜっこうざか)
<場所>
港区南麻布2丁目と3丁目の間
<名称の由来>
承応2年(1654),坂の東側へ赤坂から曹渓寺が移転して来た。初代和尚絶江が名僧で 付近の地名となり 坂名に変った。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:140m

まとめ

最後まで読んでくださりありがとうございます。
しかしこうやって眺めてみるとすごい数の坂です。これでも半分にも届いていないとは…。
いつもブログを更新してくださっている同じ部署のメンバーに「写真が多くて大変だよね…申し訳ない…」と謝ったことがあるのですが、快くそして爽やかに「大丈夫ですよ!」と返してくれました。そんなメンバーに感謝しつつ、汗だくになりながら今年も坂道ダッシュをしたいと思います。それではまた、次回の坂道探訪5で…!