背景画像
BLOG

ブログについて

坂道探訪5

2022.09.13

日常
坂道探訪

サムネ画像

こんにちは。制作部の中山です。
暑い日が続きますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
わたしは北国出身ということもあり暑さに弱く、今年の夏もヒィヒィ言いながら毎日を過ごしております。こうも暑い日が続くと、鰻屋さんや建築業の方、クーラーの修理や設置に飛び回る電気屋さん等、暑い中お仕事をされている方へお礼を言ってまわりたくなります。
なお、今回の記事を書くにあたり過去の記事を見返したところ、わたしは前回のブログで「港区のサイトの担当者の方々へ菓子折りを持ってお礼に行きたい」と書いておりました。感謝の心をもつことは無論良いことではありますが…将来的に「色々なところへ出没し一方的にお礼をして帰る、お礼おばさん」などと呼ばれる日がくるのではないかと妄想し、少しゾッとしました。

くだらない妄想で体感温度が少しだけ冷えたところで、本題にまいりたいと思います。今回も変わらず坂道についてですが、この時期の坂道巡りは暑さとの闘いです。熱中症にならぬよう早朝に出かけ、ペットボトルの水をごくごく飲みながら、短時間で近場の坂道を踏破してきました。暑さに弱く、かつ早起きも苦手なわたしをここまで突き動かすとは…坂道の魅力とは恐ろしいものです…。

前置きが長くなりましたが、今回も坂道探訪にお付き合いいただければ幸いです。なお前回同様に数が多いため、いくつかの坂道をピックアップしてご紹介し、残りは表形式で写真と概要のみご紹介できればと思います。なおナンバリングは前回から引き続き37番から開始しています。

37.於多福坂(おたふくざか)

画像

画像

於多福坂(おたふくざか)…失礼ながらも、なんだかこう締まりの無い名前のこの坂は、港区六本木5丁目13番と5丁目14番の間にあります。
そして、この於多福坂も例に漏れずフィリピン共和国大使館の隣に位置しています。
道幅は車が一台通れる程度で広くはありませんが、左右の石垣が、なんとも良い雰囲気を醸し出しています。

ただこの坂道の一番の魅力は、その形状にあります。写真ではわかりづらいかもしれませんが、坂上から下った後にフラットになり、再び下っています。以前ご紹介した薬研坂は中央の窪地から再度上る形状ですが、於多福坂は再度下るのです。
なおこの坂道の由来も形状からきており、港区が設置した標識には「坂の傾斜が途中でいったんゆるやかになって、また下ったので、顔のまん中の低いお多福面のようだと名づけられた」と記されています。昔は今のように娯楽が少なかったからなのかもしれませんが、昔の人の想像力はすごいなあと思います。
わたしは日頃から制作の現場にいますが、この坂の形状を見て「お多福面っぽいよね」とパッと思いついた人の想像力を思えば、まだまだ足元にも及ばないなと感じました。

場所 港区六本木5丁目13番と5丁目14番の間
名称の由来 坂の傾斜が途中でいったんゆるやかになって、また下ったので、顔のまん中の低い お多福面のようだと 名づけられた。
※港区が設置した標識より
坂の概要 延長:約200m

38.行合坂(ゆきあいざか)

画像

画像

画像

続いての坂は行合坂です。ただ写真をご覧いただくとわかるように、行合坂周辺は工事の真っ只中で、既にそこに坂と呼べるものはありません。そもそも坂の標識も工事用のカラーコーンの中にあり近づけなかったのですが、わたしが呆然と立ち尽くす姿を見て、工事現場のおじさんが「写真、撮るかい?」と中へ入れてくださいました。工事現場のおじさんが話すところによると、3年ほど前から行合坂周辺の工事は本格化したそうです。
自らも工事現場に立ちながら「俺も昔このあたりに住んでたんだよ…昔は神谷町の先まで小さな家が立ち並んでて…地元の人が行き交うアットホームな坂だったんだけどな…」と話すおじさんは、なんだか寂しそうに見えました。
行合坂周辺が今後どのような変貌を遂げるのか、わたしにはわかりません。もしかすると開発の中でこの坂の標識すらなくなってしまうのかもしれません。ただ坂が無くなり景観が変わっても、人が行き交う賑やかで素敵な場所であってほしいなと願わずにはいられません。

場所 港区麻布台1丁目と六本木3丁目の間
名称の由来 双方から行合う道の坂であるため行合坂と呼んだと想定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるため、さだかではない。
※港区が設置した標識より
坂の概要 延長:約200m

39.スペイン坂(すぺいんざか)

画像

画像

行合坂の項で少ししんみりしてしまいましたが、続いては少し毛色を変えてスペイン坂をご紹介いたします。
スペイン坂はアークヒルズを一周する道路の南西側にある坂で、六本木通りからスペイン大使館まで続いています。
さて、写真が見づらくて恐縮ですが、この坂の標識、港区が設置している標識と違いますよね?実はこのスペイン坂は、1986年(昭和61年)にアークヒルズという人工の街ができた時に造られた坂で、歴史のない坂なのです。そのため、港区が標識を設置することはなく、自治会とビルの管理会社が標識を私製で設置しています。
時代が移りゆく中で、行合坂のように失われゆく坂もあれば、スペイン坂のように新たに誕生する坂もあります。それぞれの坂が変貌を遂げる中で、その背景に様々な人の想いがあることを思えば、感慨を抱かずにはいられません。

場所 港区麻布台1丁目と六本木3丁目の間
名称の由来 1986年(昭和61年)、20年近い歳月を経て、赤阪(Akasaka)と六本木(Roppongi)の結び目(Knot)にアークヒルズ(ARK HILLS)は誕生しました。
当時の民間における都市再開発事業としては最大級の規模(総敷地面積56,000㎡)を誇り、共同住宅、オフィス、ホテル、テレビスタジオ、コンサートホールなどを組み会わせた複合型街づくりは、その後の都心部における都市開発事業のさきがけとなりました。そのアークヒルズの南側に位置するこの坂道は、六本木通りからスペイン大使館につながることから「スペイン坂」と名付けられ、多くの人々に親しまれています。春には、両側の歩道に植えられた桜が坂道を被うように咲き乱れ、都心における桜の名所としても知られています。
※アークヒルズ自治会 森ビル株式会社が設置した標識より
坂の概要 延長:約190m

その他の坂

前述したとおり、ここからは表形式で写真と概要のみご紹介できればと思います。

画像 40.鮫ヶ橋坂(さめがはしざか)
<場所>
元赤坂2丁目1番と千代田区の間
<名称の由来>
江戸時代、坂の下に鮫河橋(さめがはし)という橋があったことからこの名がついたという。鮫河橋坂とも。
※港区の坂紹介のページより
<坂の概要>
延長:200m
画像 41.道源寺坂(どうげんじざか)
<場所>
六本木1丁目3番と1丁目4番の間
<名称の由来>
江戸時代のはじめから、坂の上に道源寺があった。その寺名にちなんで 道源寺坂 または 道源坂と呼んでいた
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:130m
画像 42.蜀江坂 (しょっこうざか)
<場所>
港区白金4丁目と6丁目の間
<名称の由来>
坂上の丘を紅葉が美しい中国の蜀江にちなんで蜀江台と呼んだことからつけられた。むかしの字名は卒古台であった。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:170m
画像 43.植木坂 (うえきざか)
<場所>
港区麻布台3丁目と永坂町の間
<名称の由来>
この付近に植木屋があり、菊人形を始めたという。外苑東通りからおりる所という説もある。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:75m
画像 44.大黒坂 (だいこくざか)
<場所>
港区元麻布1丁目から元麻布1丁目と麻布十番2丁目の間まで
<名称の由来>
大国坂とも書く。坂の中頃 北側に大黒天(港区七福神のひとつ)をまつる大法寺があったために呼んだ坂名である。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:150m
画像 45.狸坂 (たぬきざか)
<場所>
港区元麻布2丁目と3丁目の間
<名称の由来>
人をばかすたぬきが出没したといわれる。旭坂ともいうのは東へのぼるためか。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:130m
画像 46.一本松坂 (いっぽんまつざか)
<場所>
港区元麻布1丁目と2丁目の間
<名称の由来>
源経基(みなもとのつねもと)などの伝説をもち、古来植えつがれている一本松が坂の南側にあるための名である。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:55m
画像 47.御組坂(おくみざか)
<場所>
六本木1丁目5番と1丁目7番の間
<名称の由来>
幕府御先手組(おさきてぐみ・戦時の先頭部隊で、常時は放火盗賊を取締まる)の屋敷が南側にあったので坂名となった。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:90m
画像 48.新富士見坂(しんふじみざか)
<場所>
南麻布4丁目5番と4丁目10番の間
<名称の由来>
江戸時代からあった富士見坂(青木坂)とは別に明治末大正ごろに開かれた坂で冨士がよく見えるための名であった。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:160m
画像 49.鼠坂(ねずみざか)
<場所>
港区麻布狸穴町と麻布永坂町の間
<名称の由来>
細長く狭い道を江戸でねずみ坂と呼ぶふうがあったといわれる。一名 鼬(いたち)坂 で、上は植木坂につながる。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:45m
画像 50.永坂(ながさか)
<場所>
六本木5丁目と麻布永坂町の間
<名称の由来>
麻布台上から十番へ下る長い坂であったためにいう。長坂氏が付近に住んでいたともいうが、その確証はえられていない。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:280m
画像 51.七面坂(しちめんざか)
<場所>
麻布十番2丁目7番と2丁目8番の間
<名称の由来>
坂の東側にあった本善寺(戦後五反田へ移転)に 七面大明神の木像が安置されていたためにできた名称である。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:100m

まとめ

最後まで読んでくださりありがとうございます。
ようやく50坂を超え満足感に浸っていましたが、それでもまだ半分までいかず…本当になんだか恐ろしくなってきます。
ただ、行合坂で出会った工事現場のおじさんや、坂についての質問や報告等させていただいている坂学会の方、坂巡りに付き合ってくれる家族、ブログの実装をしてくださっている同僚、たくさんの方々にお世話になっているので、時間がかかってもなんとか全坂踏破を成し遂げたいと思います。

暑い日が続きますがみなさんも熱中症にはお気をつけて。
それではまた次回の「坂道探訪6」で!