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Happy Valentine!

2020.02.14

日常

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こんにちは、マーケティング部の松本です。
本日、2020年2月14日はバレンタインデーですね。街のあちこちから甘い香りがして、何処か幸せな気持ちになってしまいます。
そのバレンタインデーは日本では女性が男性にチョコレートを贈る日として広く知られていますが、実はそれは日本独自の風習だとご存知でしたか?
折角ですので今回はバレンタインデーについて、少しお話が出来ればと思います。お付き合い頂けると幸いです。

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バレンタインデーの起源とは

バレンタインデーの歴史はローマ帝国の時代に遡ると言われています。
当時、ローマでは2月14日はユーノーという女神を讃える祝日でした。ユーノーは全ての神々の女王であり、家庭と結婚の神でもあります。翌日の2月15日は豊年を祈願する「ルペルカリア祭」の始まる日でした。当時のローマ帝国では若い男女は生活をしっかりと分けられていたのですが、ルペルカリア祭の前日に女性たちが名前を書いた札を桶の中に入れ、当日に男性は桶から一枚札を引き、名前を引かれた女性と引いた男性は祭の間はパートナーとして共に過ごすことを許されていたのです。そして女神ユーノーの導きか、パートナーとなった男女の大半はそのまま恋に落ち、結婚に至りました。
しかし、ローマ帝国の皇帝であったクラディウス2世は、愛する人を故郷に残しているという未練で兵士の士気が下がることを危惧し、兵士たちの結婚を禁止してしまいました。その行為に怒ったのが、キリスト教の司祭であった「ウァレンティヌス」です。彼は結婚を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを哀れに思い、彼らのために皇帝に隠れて結婚式を執り行っていたのですが、やがてその噂が皇帝の耳に入ってしまい「二度とそのような行為をするな」とウァレンティヌスに命令します。それでもウァレンティヌスは毅然としてその命令には屈しなかったため、処刑されることになってしまいました。ウァレンティヌスの処刑の日には敢えてユーノーの祝日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日が選ばれました。
それ以降、ローマ帝国の国民は2月14日はウァレンティヌスが処刑された日としてお祈りをするようになったのだとか。若者たちの愛を支えたウァレンティヌスが処刑された日は「恋人の日」として広まって行き、今ではウァレンティヌスは「聖バレンタイン」という聖人として、世界に広く知られています。
ちなみに、このルペルカリア祭はかの有名なウィリアム・シェイクスピアの戯曲である「ジュリアス・シーザー」の冒頭に登場しますので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。

日本でのバレンタインデー

日本でバレンタインデーが広まったのは1958年頃のことです。ただしその内容は、来日した外国人によって広められた元来のものと比べて独自の発展を遂げたものになっています。第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられましたが、定着したのは1970年代の後半のことです。
バレンタインデーにチョコレートを、と最初に考案して実践したのは、神戸のモロゾフ製菓であると言われています。1938年の2月12日に、外国人向けの新聞に「あなたのバレンタイン(=愛しい人)にチョコレートを贈りましょう」という広告を掲載しているから、とのこと。その後も1958年にメリーチョコレートカムパニーが伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったり、1960年には森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」という新聞広告を出し、伊勢丹が1965年にバレンタインデーのフェアを開催したりと、製菓業界や百貨店の強い後押しによって、バレンタインデーは日本中へと普及しました。

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海外でのバレンタインデー

ヨーロッパやアメリカなどでは、バレンタインデーには男性も女性も関係なく、恋人や親しい人に花やケーキ、カードなどを贈る日とされています。
イギリスでは、バレンタインデーに贈るカードには「From Your Valentine (あなたの愛しい人より)」「Be My Valentine(私の愛しい人になってください)」と書くこともあるそうです。何とも情熱的ですね。
また、海外でもチョコレートを贈る習慣はあります。これは1868年にキャドバリー社の社長が美しい絵のついた贈答用のチョコレートボックスやハート型のキャンディボックスを発売したことから広まり、後に他の地域にもこの風習が広まっていったのだそうですよ。

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バレンタインデーから派生した風習

日本でバレンタインデーと対として扱われているホワイトデー、これこそ正しく日本独自の文化です。女性が男性に親愛の情を込めて「本命チョコ」を贈るという「日本型バレンタインデー」が社会へと定着した後の1980年代前半、ホワイトデーと義理チョコ、という習慣が生まれました。起源としては、福岡県の和菓子屋のキャンペーンだと言われています。1977年にバレンタインデーの返礼としてマシュマロデ―を開始しました。1979年には他の製菓会社と協同で「ホワイトデー」という名称を用いました。しかし一方、全国飴菓子工業協同組合もホワイトデーの起源は自分たちだ、と主張しています。1978年の総会で「ホワイトデーキャンペーン」の実施が決定され、1980年に第一回「愛にこたえるホワイトデー」キャンペーンが行われ、第二回目の1981年には「好きな女の子にキャンデーを贈ろう」というキャッチフレーズも添えられたのだとか。全国飴菓子工業協同組合では、大盛況であった第五回目のキャンペーンが行われた1984年をホワイトデーが定着した日、としています。

実は、少し変わった風習もあります。
例えば、「メイストームデー」。これはことわざの「八十八夜の別れ霜(立春から数えて八十八日目に降りる霜は、その年で最後になることが多いこと)」に因んで、バレンタインデーから八十八日後の5月13日をメイストームデーと呼び、別れ話を切り出すのに最適な日とされています。
また、セプテンバーバレンタインという日もあります。佐々木幸男さんの楽曲にも同じ名前のものがありますよね。
これはホワイトデーから半年後の9月14日、女性から恋人に別れを切り出しても良いとされる日です。「切り出しても良い」なんて言われなくても好きな時に言うよ!とお思いの方も多いかとは思いますが、セプテンバーバレンタインの起源は1967年から1982年まで放送されていた深夜ラジオ「バックインミュージック」。この時代は、女性から恋人に別れを切り出す、という事のハードルが今よりもずっと高かったのだと思います。
ちなみに、セプテンバーバレンタインに別れを切り出すには幾つかのルールがあるそう。紫色のアイテムを身に着けて白いマニキュアを塗り、緑のインクで書いた手紙を手渡す、と決まっているそうですよ。何故このようなルールになったのかは不明ですが、なかなか面倒な決まりですよね。別れたい相手のためにそれぞれのアイテムを用意する手間を考えると、そこまでして初めて別れを切り出しても良い、という当時の文化を強く感じてしまいます。こんな記念日がなくても別れたい時に別れる!と女性が強く主張出来るようになったのもまた、時代の流れなのかもしれません。

まとめ

女性が男性にチョコレートを贈る日、というイメージの強いバレンタインデーですが、由来を知ってみると他にも色々と楽しみ方があるのだと思えます。いかがでしょう、今年のバレンタインデーはチョコレートに花やカードを添えてみませんか?
なお、このブログでメイストームデーやセプテンバーバレンタインを知った恋人に別れを切り出される等の損害を被った場合でも、私は一切の責任を負いかねます。

今後とも、MEプロモーションをよろしくお願いいたします。