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節分の日

2020.02.03

日常

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こんにちは、マーケティング部の松本です。
2月3日は節分ですね。みなさんは節分というと何を思い浮かべますか?やはり豆まきでしょうか。
私も幼い頃は家で豆を模したボールを投げてから必死になって回収して、その後年齢の数の豆を食べていました。ぼんやりと、大人になったらどんどん食べる数が増えていって、大変だなあ、と思ったのを覚えています。
最近では豆まきもそうですが、恵方巻きを食べる習慣も有名になって来ましたよね。私が幼い頃は地元のお寿司屋さんが当日に売っているくらいだったのですが、今ではコンビニやスーパーで美味しい恵方巻きを予約できると知って、とても驚きました。
折角なので今回は節分という日、そして節分の習慣について、少しお話が出来ればと思います。お付き合い頂けると幸いです。

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節分とは?

節分というのは雑節の一つで、各季節の始まりの日の前日のことを指します。「(季)節(を)分(ける)」で節分、というそうです。江戸時代以降は、特に立春の日の前日を指す場合が多いです。雑節、季節の始まりの日等については、以前拙筆ながら記事を書かせて頂いているので、興味のある方は是非、こちらもご覧下さい

元々節分というものは、宮中での年中行事でした。昔から季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い祓うための悪霊祓いの行事だったのです。一説では、今では季節の変わり目は気候の変化のせいで体調を崩しやすいと分かっていますが、昔はそれが邪気・鬼のせいだと考えられていた、とも言われています。
その行事自体も、そもそもは平安時代から行われている「追儺(ついな・おにやらい)」から生まれたのだとか。平安時代の追儺は706年から始まり、室町時代まで主流であった「桃の枝」への信仰に代わって、炒った豆で鬼を追い祓う行事となって行きました。桃の枝が鬼を祓う、という習慣は、かの有名な伊耶那岐命(イザナギノミコト)が亡き妻を黄泉の国から連れ戻そうとした際に、地上との境にある黄泉平坂の麓に生えていた桃の実を投げつけて黄泉の軍隊を追い祓った事から生まれたとも言われています。また、桃は中国では仙木とも呼ばれ、邪気を祓う呪力があると考えられていました。桃というものは古来中国、そして日本においても、鬼や邪気を祓うものとされていたんですね。
さて、その桃に代わって炒った豆によって鬼を祓う追儺という行事ですが、元々は中国の宮中で行われており、鬼側と人側に分かれて追いかけたり、桃と葦で作られた弓矢を使って追い祓うものだったと伝わっています。それが日本に伝わって定着していき、現在の節分の元となりました。鬼を祓う、という内容自体は節分の内容と重なる部分がありますが、豆まきという行動は追儺の中には存在せず、鬼を打ち祓う他の行事から流入したものと言われています。

平安時代の追儺から始まった、この節分の宮中行事が徐々に庶民へと広がり、採り入れられるようになった頃からは、節分の夕暮れには柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立てることで鬼を近寄らせないようにする、という習慣も生まれました。柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門から鬼が入れず、塩鰯を焼く臭気と煙で鬼を近寄らせない、という意味があるそうですが、中々痛そうですよね。

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豆まき

ところで、では炒った豆を投げて鬼を追い祓うという習慣は一体何処から来たものなのか。ご存知ですか?
文献で現れる最も古い豆まきの記録は室町時代、1425年の節分の記録です。宮中の「看聞日記」や幕府の記録である「花営三代記」に記載があることから、この頃には既に都の公家や武家で豆まきが習わしになっていた事が分かります。
そのおおよそ20年後の辞典には、宇多天皇の時代(867年~931年)に谷と池の端にある石穴より鬼が出て来て都を荒らしたので、鞍馬山の僧正が祈祷を行い、鬼の穴を封じて炒り豆で鬼の目を潰して災厄を逃れた、という伝説も残っているそうです。
豆には元々、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰があり、「魔目(まめ=豆)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じることから、鬼に豆をぶつけて追い祓い、一年の無病息災を願う、という風習があります。豆を撒いて、撒かれた豆を自分の年齢の数だけ食べる、という風習も、火で炒り邪気を祓った、魔除けの力を持つ豆を体内に取り込んで、次の年も健康で過ごせますように、と願うことから来ているとのこと。

また、この豆を使った厄祓いには面白い風習もあるんです。
節分の夜に炒り豆を年の数だけ紙に包み、人知れず家に近い四つ辻の真ん中に捨てて振り返らずに家まで戻ることで厄を落とす、「四つ辻」という風習。これは紙に包んだ豆に自分の厄を肩代わりしてもらうことで、それを捨てて厄を落とす、という意味なのだそう。
この風習が由来しているかは分かりませんが、落ちている物を拾ってはいけない、という風習もありますよね。落ちているものには他人が落とした厄がついているから、拾ったらその厄や、落としてしまった人の無念未練まで拾い上げてしまう、と。ですが一方で、厄落としとしてお金などをわざと落とし、それを別の人が使うことで人を助け、厄が福となって戻ってくる、なんて風習もあったりします。全国様々、自分が思う通りの厄落としをするもしないも自由ではありますが、それはそれとしてお金が落ちていても拾って自分のものにしてしまうのは現代の法律的に良くない事ですので、ついうっかり届け忘れたりしないように気を付けましょう。

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恵方巻

さて、そんな厄祓いの日である節分に食べる恵方巻ですが、その起源は未だ明確にされていないんです。
現在に伝わっている主な風習としては、「節分の夜に、恵方に向かって願い事を思い浮かべながら丸かじりして、言葉を発さずに最後まで一息に食べきると願いが叶う」というものでしょうか。地方や文化によって細かいところは異なるかもしれません。
発祥は商都である大阪の風習だと言われていますが、諸説が多く明確にこれ、とは判明していません。幕末から明治時代の初頭に大阪で商売繁盛、無病息災、家内円満を願ったのが始まりだとか、節分の頃は新しい香の物が漬かる時期なので江戸時代の中期に香の物入りの巻き寿司を丸ごと食べて縁起を担いだのが始まりだとか、戦国時代の武将が節分の日に巻き寿司を丸かじりして出陣したら戦に勝ったからだとか、本当に色々と言い伝えられています。なお、「恵方」というのは、その年の福徳を司る歳徳神という神様が御座す方角のことす。その方角に向かって事を行うと、何事も吉、とされているそうですよ。
「恵方巻」という名前は1989年に広島市のセブンイレブンが広めたものであり、全国へと定着したのは2000年代以降なのだそうです。それ以前に「恵方巻」と呼ばれていたという文献などはなく、「幸運巻き寿司」「恵方寿司」「招福巻」と呼ばれる事もあるのだとか。どれも何だかめでたい名前ですね。

恵方巻には基本的に7種類の具材を使うとされています。その数は七福神に因んだもので、商売繁盛や無病息災を願って福を巻き込む、という意味だそうです。また、恵方巻を鬼の金棒に見立てて食べてしまう鬼退治、なんて説もあるのだとか。面白いですね。
7種類の具材は具体的に決まってはいませんが、代表的なものとして「かんぴょう」「きゅうり」「厚焼き玉子」「うなぎ」「桜でんぶ」「しいたけ煮」などが使われる事が多いそうですよ。とはいえ、今は色々な種類の恵方巻があり、海鮮恵方巻、なんていうものもあったりしますよね。験担ぎは大事ですが、丸々一本食べると思うとやはり美味しい方が嬉しいですから、自分の好きな具材が入っている恵方巻を食べた方が何となく良いことがあるような気がしてしまいます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
何となく豆を撒く日、恵方巻を食べる日、と認識していた節分も、由来を知るといつもとは違う気持ちで迎えられそうですね。
ちなみに、2020年の恵方は「西南西」。是非、恵方を向いて恵方巻を食べてみて下さい。
今年もみなさんが厄を祓い、幸せな時を過ごせますように。

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