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坂道探訪8

2023.06.06

日常
坂道探訪

サムネ画像

こんにちは。制作部の中山です。毎度のこと前置きが長いわたしのブログですが、今回こそは前置きはさておき、坂道の紹介をサクサクとはじめたいなと…思っております。

というのも、前回の坂道探訪7でも触れていますが、わたしが坂道探訪シリーズを開始したのが2021年4月。この記事を書いているのが2023年の4月なので、めちゃくちゃ、ひたすらに、どうしようもなく…長尺になってきているからです。わたしが港区の坂道巡りをはじめたのは記事でいうと坂道探訪2から。実際に踏破を開始したのは2021年6月からですが、そのブログの冒頭でわたしは以下のようなことを記述しています。

一瞬本当にやるのか?と逡巡しましたが、その時わたしの頭の中に「おれは聖帝サウザー!!南斗六星の帝王!!ひ・・・退かぬ!!媚びぬ!!省みぬ!! 帝王に逃走はないのだ―――!!」と北斗の拳のサウザーの名言が…。そうです誰にでも立ち向かわなければならない時があるのです。こうして意地とプライドをかけた中山の闘いが幕を開けました。

今になって見返すとツッコミどころしかありません。なぜ南斗六星の帝王サウザーと肩を並べようとしたんだよと…何の意地とプライドをかけたんだよと…。
ただ当時のわたしが何を考えていたかはまったくもって不明ではありますが、不思議なものでシリーズが長尺になればなるほど、確かによくわからない意地とプライドのようなものが芽生えてきます。焦っても仕方ありませんが、なんとか今年こそは悲願達成といきたいものです。(結局前置きが長くなっていることにお気づきの方、そこはご愛嬌ということで…)

今回巡ったエリア

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さて今回は、前回作成したマップをもとに、六本木~神谷町~御成門エリアの坂道を巡ることにしました。左はマップのスクリーンショットですが、グレーのピンが今回巡った坂道になります。
マップを作成したことで、ルート取りが楽になり、かつ帰宅後になって「あの坂道に行ってなかった…」ということがなくなったので、これは精神衛生上とても良かったです。年始に時間を割いたかいがありました。
それでは、今回もわたしの巡った坂道をご紹介していきたいと思います。いつものように、いくつかの坂道をピックアップしてご紹介し、残りは表形式で写真と概要のみご紹介できればと思います。なおナンバリングは前回から引き続き71番から開始しています。

71.芋洗坂(いもあらいざか)

芋洗坂は六本木通りの六本木交差点から六本木中学付近まで、南北に通じる坂道です。
坂名の由来は芋問屋があったからだと標識には書いてありましたが、ここは大都会六本木。当たり前のことながら芋問屋は存在しません。付近には飲食店街が立ち並び、お洒落な服を身にまとった人々が、颯爽と歩いていきます。
なにせそんな街ですから、この坂道を撮影するのには非常に苦労しました。今回わたしが芋洗坂の写真を撮影するにあたって六本木に通ったのは計三回…。
一度目は近くの饂飩坂の撮影には成功したものの、芋洗坂で踊り狂う男性に恐怖し撤退。二度目は一度目の経験を活かし始発で現地に赴くも、泥酔した人達が芋のようにゴロゴロ寝転んでいたため撤退。三度目の正直と挑んだ今回は、日曜日のAM9:30に芋洗坂に到着。ようやく撮影することができました。
これから芋洗坂で全力坂をしたいという方は、ぜひ休日のAM9:30頃を狙いましょう。もしそれでも人が多い場合は、六本木駅出口3ヨコに「すしざんまい」が24時間営業しているので、そちらでお寿司を食べると芋洗坂のことを忘れて幸せになれると思います。

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場所 港区六本木5丁目、6丁目の間
名称の由来 正しくは麻布警察署裏へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以後にできてこちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。
※港区が設置した標識より
坂の概要 延長:約170m

72.三年坂(さんねんざか)、73.我善坊谷坂(がぜんぼうだにざか)

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東京メトロ六本木一丁目駅や神谷町駅のほど近くにある港区麻布台。この近隣は2023年現在、大規模な再開発が行われています。
以前坂道探訪5で消えゆく坂として行合坂をご紹介しましたが、同エリアにある三年坂と我善坊谷坂も、今まさに消えようとしている坂です。再開発計画によれば、工事が終わればこの二坂は完全になくなってしまいます。左の写真は、雁木坂方面から三年坂を撮影したものですが、工事用フェンスがあり、もはや立ち入ることも出来ません。
工事以前は三年坂を下ると坂下には「我善坊谷」というエリアが広がり、そこから「仙石山」方面に上る我善坊谷坂に続いていました。学生時代、友人の祖父母宅がこのエリアにあり、何度かお邪魔させていただいたことがあるのですが、我善坊谷坂周辺は崖地に沿って古い家屋が立ち並び、坂の中腹からは東京タワーを望むことができたと記憶しています。時代にあわせて街並みは変わっていきますが、思い出のある場所が消えゆくのは、なんだか寂しいものです。再開発後にはぜひまたこの場所を訪れ、その変貌を目にしたいなと思っています。
なお今回は写真撮影すら出来なかったので、この二坂をナンバリングするか悩みましたが、消えゆく坂道だからこそ名前だけでも残しておきたいなと、掲載させていただきました。

■三年坂

場所 港区麻布台1丁目
名称の由来 いつのころよりこの坂がそう呼ばれたのか、誰に名づけられたのか定かではありません。 しかし、東京が江戸と呼ばれていた時代には無名ではあります。 すでにこの坂がありのち石段になったようです。また、三年坂は別名三念坂などとも呼ばれ同じ名前の坂がほかに数箇所あります。京都清水のそばに同名の坂があります。 昔の人が遠くふるさと京都をしのぶ気持ちを坂の名前にこめたとしたらロマンでしょうか。

※麻布土木事務所が設置していた標識より
坂の概要 延長:約20m

■我善坊谷坂

場所 港区麻布台1丁目と虎ノ門5丁目の間
名称の由来 我善坊谷は麻布台地の北側の谷。西よりに落合坂があり、東は西久保八幡脇にでる。坂の名はこの谷に由来するが、坂道は崖地を削るように、一部曲折して谷道に方向をかえる。谷道をそのまま横切って進めば霊友会釈迦殿裏の三年坂につづく。(「東京の坂風情」より)我善坊谷は“龕前坊谷”とも書き、寛永3年、二代将軍秀忠の室(お江与)の葬礼が芝増上寺で執行され、葬列の途中の道筋にあたるこの坂下の谷に仮御堂が置かれた。この御堂を“龕前堂(がぜんどう)”と呼ばれ、後にこの谷筋は“龕前堂谷”と呼ばれ、やがて我善坊谷に転訛したという。

※「江戸の坂道散歩」より
坂の概要 延長:約90m

74.西久保八幡男坂(にしくぼはちまんおとこざか)、75.西久保八幡女坂(にしくぼはちまんおんなざか)

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東京メトロ神谷駅の近く、桜田通り沿いにある西久保八幡神社。道沿いからは階段を登らないと境内を臨むことは出来ませんが、階段を登ると、高層ビルを背景に荘厳な景色が広がっています。
なお社殿は2021年秋に改築されて新しくなっていますが、西久保八幡の歴史は古く、創建は寛弘年間(1004-12)。虎ノ門エリアの鎮守様ということで親しまれています。

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東京メトロ神谷駅の近く、桜田通り沿いにある西久保八幡神社。道沿いからは階段を登らないと境内を臨むことは出来ませんが、階段を登ると、高層ビルを背景に荘厳な景色が広がっています。
なお社殿は2021年秋に改築されて新しくなっていますが、西久保八幡の歴史は古く、創建は寛弘年間(1004-12)。虎ノ門エリアの鎮守様ということで親しまれています。
なお寄進の品に記された芳名を見ると、地域柄なのか、近隣住民の方と思しき個人名にまじり、名だたる有名企業の名が連なっていました。
さて話が逸れましたが、前述した社殿に向かう階段を西久保八幡男坂(写真左)、男坂の正面左に位置するのが西久保八幡女坂(写真右)です。どちらも境内へ続いているのですが、男坂は44段の階段、女坂は緩やかな坂となっています。なお男坂・女坂という対になった坂名は、西久保八幡だけではなく全国各地の神社に存在し、そのほとんどが男坂は急な階段、女坂はスロープ状です。なぜ2つの経路を作るのだろう?とも思ったのですが、その形状から推察すると、男坂は一般用、女坂は足腰の悪い方や車両のお祓いをする人用なのかもしれません。

■西久保八幡男坂

場所 港区虎ノ門5丁目
名称の由来 西久保八幡社正面の44段の石階を男坂とよび、右方のゆるい石段坂を女坂といっている。西窪(西久保)とは、愛宕山の西方の窪地の意味。はじめは霞ヶ関にあり、現在地に移ったのは慶長5年。

※「江戸東京坂道事典」より
坂の概要 延長:約20m

■西久保八幡女坂

場所 港区虎ノ門5丁目
名称の由来 西久保八幡社正面の石段を男坂、左方のゆるい石段坂を女坂といっている。

※「江戸東京坂道事典」より
坂の概要 延長:約45m

いつもの坂道探訪

さてここからはいつものように巡った坂道を表形式で写真と概要のみでご紹介できればと思います。

画像8 76.しいのき坂(しいのきざか)
<場所>
港区六本木1丁目
<名称の由来>
標識はないが、仙石山レジデンスの敷地内に設置された案内図に「しいのき坂」と書かれている。
仙石山レジデンスは仙石山テラス・六本木ファーストビルなどと共に、2012年に開発された区画。その際にこの「しいのき坂」の道路が新設されたが、しばらく地図にも記載されない道路だった。
※「坂学会のサイト」より
<坂の概要>
延長:280m
画像9 77.なだれ坂(なだれざか)
<場所>
港区六本木3丁目
<名称の由来>
流垂・奈太礼・長垂などと書いた。土崩れがあったためか。幸国(寺)坂、市兵衛坂の別名もあった。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:180m
画像10 78.フランス坂(ふらんすざか)
<場所>
港区六本木3丁目
<名称の由来>
パリによく見かけるような小さな石段の坂道なのでこの坂名になった、という説があるが、詳しい事情は不明。
※「坂学会のサイト」より
<坂の概要>
延長:25m
画像11 79.寄席坂(よせざか)
<場所>
港区六本木3丁目
<名称の由来>
坂の途中の北側に、明治から大正3年にかけて、福井亭という寄席があったために寄席坂とよびならわすようになった。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:85m
画像12 80.閻魔坂(えんまざか)
<場所>
港区赤坂4丁目と5丁目の間
<名称の由来>
六本木墓地のあたりは崇厳寺の閻魔堂に因んだものである。崇厳寺は戦災で焼失し復興されなかったので、共同墓地として拡張したものである。
※「坂学会のサイト」より
<坂の概要>
延長:110m
画像13 81.銀杏坂(いちょうざか)
<場所>
港区芝公園3丁目
<名称の由来>
もとこの付近一帯は増上寺と徳川家の霊屋(おたまや)があった。明治初年に増上寺領の大部分は、東京市の芝公園となり、多くの改造が行われ新道が開かれるなど地形をかなり変じた。戦後は徳川家の 霊屋が取払われて、跡地は東京プリンスホテルが建った。その間道路も拡大改修されているので、銀杏坂は昔どおりの坂ではなくなった。
※「江戸東京坂道事典」より
<坂の概要>
延長:300m
画像14 82.丹波谷坂(たんばだにざか)
<場所>
港区六本木3丁目
<名称の由来>
元和年間 旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった。明治初年この坂を開き、谷の名から坂の名称とした。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:100m
画像15 83.富士見坂(ふじみざか)
<場所>
港区芝公園4丁目
<名称の由来>
東京タワーから道路を隔てた小さな丘に“西向観音堂”がある。この丘はもと富士見台といわれ、タワーの下(旧十九号地)から上がって行く細い坂道があった。いまは、観音堂へ上る数段の石段があるだけだ。木々に囲まれた、小さな古びた堂の姿に風情がある。冨士の眺めはすでにない。
※「今昔東京の坂」より
<坂の概要>
延長:10m
画像16 84.不動坂(ふどうざか)
<場所>
港区六本木3丁目
<名称の由来>
かつて坂下に不動院があったが、戦災で焼けて坂の南に移った。同寺の門前町を不動院門前ととなえ坂名の由来となった。
※「江戸東京坂道事典」より
<坂の概要>
延長:75m
画像17 85.永井坂(ながいざか)
<場所>
港区芝公園3丁目と芝公園4丁目の間
<名称の由来>
江戸時代から明治初期にかけて、この付近の地を芝永井町といったことからこの名が付いた。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:100m
画像18 86.榎坂(えのきざか)
<場所>
港区麻布台1丁目と2丁目の間
<名称の由来>
この辺りは幹線道路が交差して大きな坂ばかりだが、昔はせいぜい荷車がすれ違う程度の道であった。桜田通りから六本木のほうに行く主要な道路であった。おそらく一里塚の榎が立っていたのであろうがそれが何処かはわからない。
※「東京の坂風情」より
<坂の概要>
延長:75m
画像19 87.新坂(しんざか)
<場所>
港区南麻布4丁目と3丁目の間
<名称の由来>
しんざか できた当時は、新しい坂の意味だったが、開かれたのは古く 元禄12年(1699) である。しんさか とも発音する。
※港区が設置した標識より
<坂の概要>
延長:320m

まとめ

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最後まで読んでくださりありがとうございます。今回は六本木から東京タワー周辺までを探索しましたが、外国人観光客も多く、東京の街に活気が戻ってきていることを実感しました。
なお一点、この場をお借りして謝らなくてはならないことがあります。隣接する坂道をダッシュしている際に同じ外国人観光客に遭遇したのですが、「あなたは、さっきからなにをしているの?」といったことを尋ねられ…「理由もなくただ坂道を走っている」とも言えず、というか語学力もなく伝えられず、とっさに「オー!ダイエット!イェーイ!」といった、デタラメを言ってしまったことです。後から改めて「DIET」という単語を調べてみると、意味は「食生活」「食習慣」。あの外国人からすると、まったくもって意味不明だったことでしょう。本当に申し訳ないことをしました。

なお、わたしはその後すぐ、Starbucksでメロン of メロン フラペチーノを飲み、浜松町でエビチリと小籠包を食べました。
それではまた次回の「坂道探訪9」で!

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